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続・やまと屋ブログ堂

★…パーフェクトガンダム、レッドウォーリア、武者ガンダムの起源はここに有り…★

Sort by 03 2008

Category: コミカライズ編  

謎の村雨城

謎の

徳間書店「わんぱっくコミック」は、ファミコンゲームのコミカライズ作品を中心に展開した漫画雑誌だ。大手でマリオやロックマン等ヒットゲームの相乗効果を狙った児童漫画の先駆けと言っていい。

現在のように、ゲームクリエーターと呼ばれる作家達の役割分担がなされる…まだファミコンゲームが最先端の時代、ちゃんとしたゲームシナリオがある訳ではない…設定資料として渡されるのは、簡単なプロットと主要キャラ、そして図面…ひどい時は、攻略本の為に、隠し画面が削除されてたりするのだ。勿論、脚本が無い訳だから、セリフもない。

例えば「それぞれの特殊能力をもつ、勇士三人が様々な苦難を乗り越え、サタンにさらわれたプリンセスを助けに行く」これだけである…これにステージ事の敵キャラを貼り付けてあるのだ…この乏しい資料から、キャラの特徴を生かし独自のアイディアを盛り込みいかに展開していくか?それこそ漫画家のゲームが始まるのである(汗)。

僕は、性に合っていたのかボンボン増刊でも「マイティ・ボンジャック」を楽しく描かせてもらった…。

Category: SD武者ガンダム風雲禄編  

カードダス

かーどだす
おもちゃ屋やスーパーの店頭等に置いていたカードゲームの自販機で、一枚20円でした。プレーヤー2~4人で、キャラカードとメカカードをそれぞれ数枚ずつ分けて、キャラカード一枚でも、メカカードとの組み合わせかで出し合い、そのヒットポイントを競うと言うもの。「超戦士ガンダム野郎」の劇中でも、合体した時のパワーアップをHPに倣って“SDスピリット指数”で表示した…子供はみんな、HPの高いキラカードを出すために、自販機の前に群がったり、ダブってあるカードを友達と、取り換えっこしたりする光景は、その後の、遊戯王やポケモンカード等に引き継がれている…。

『SDカードダス』の魅力は、やっぱりここでも、SDガンダムの祖である横井画伯のイラスト…そういえば、当時のバンダイ・カードダス担当の土田名人もコミックボンボン誌上に度々登場して、普及活動に一役かっていたダス…(笑)。


Category: SD武者ガンダム風雲禄編  

●カードダス20周年記念●

かーど
前記事の続き…`88「SDガンダムカードダス」発売から今年で、20周年だそうだ…。
当時、カードダスの自販機の前で10円玉を握りしめ、出てくるカードに一喜一憂した幼少時代をコミックボンボンで送ったSDガンダム・カードダスファンに必見です。

先月の「ガンダムフィックスフィギュレーション・フルアーマーブルーVer」の『プラモ狂四郎』に続いて、今度はSDカードダスにも『超戦士ガンダム野郎』で一役かう事になりました。そのラフです…狂四郎は何度か、その節目事に依頼されるが、天地大河は、久しく描いていなかった…(※このブログ「さよならボンボン」では、それなりに…汗)。

上図のようにSD三体を、バックに配置したため、手こずる…と、言うか、ちょっと張り切りった(笑)。
しかも、大河が持っている手の空白部分に、20周年の為だけに描き下ろしたレアな横井画伯のカードダスが入るという。要するに、僕と横井画伯のコラボレーションなのだ。

…仕上がり(現物)は「SDガンダムワールドコンプリートボックス vol.3」で確認してください。


Category: ギャグ編  

わしら探偵クラブ団

わしら
小学館の学年誌でギャグ漫画を連載していた頃…ページ数が8~12くらいなのに、その4倍に近い原稿料が振り込まれていた事がある。当時5.000円だったから、12ページとしても6万だ。なのに、23万強の振り込みがあったのだ。「えっ、原稿料が上がったのか?まさか、誰かの原稿料が間違って振込みされたのか…?」そのまま、しばらく様子見して、編集部に連絡する事にした(汗)。すると、担当者から連絡があり後者と分かった…口にこそしなかったが、僕は、売れっ子Y.Oの原稿料が間違って振り込まれたモノと察しが付いていた…なぜなら、学年誌は漫画の本数が少なく、スポ根漫画は彼しかやっていなかったからだ。「そうなんすか、まだ銀行行ってなかったので…確認してみます」と、トボケて、次の打ち合わせに、僕の原稿料を差し引いた金額を担当者に渡したのだが、このY.Oは26ページだったから、単純計算でもページ8.000円位となる…歳は同じなのに、この差に愕然とし、改めて漫画家の格差を知った出来事だった。

…そう、漫画家には、万額の単位の原稿料を貰う万画家と、千円単位の千画家がいるという事。


Category: SD武者ガンダム風雲禄編  

SD武者プレート

マークⅡ
「武者プレート」と言っても、正式名称は分かりません…当時、イベント会場で販売してた物で、左(摩亜屈)にサインペンで色を付け、自分の名前を書いたりして、電子レンジで「チン」すると、右(精太)のように小さくなるのだ。※(摩亜屈が精太に変わる訳ではありませんよ…念のため。)

僕は、これまでに何度か記事の中で触れてるが、サイン会には積極的ではなかった…漫画家なんて、社会的協調性のない連中が向いている仕事で、部屋に閉じこもって独自の世界観を構築していく事が快感なのだ…この頃の僕は、三流漫画家のくせにプライドだけは心の奥底に燻って、堂々と読者の前に出て、ガンダムを描く事に、酷く負い目を感じていた…その為、少しでも別物のガンダムを描写しようと、試みてアニメ、ガンプラファンの批難をかった訳だ。

それでも、ボンボンで約12年余りお世話になり、二度だけサイン会に出席した事がある…『プラモ狂四郎』が始まった当初「パットマスターX」のジョージ秋山御大の代役で、読者20名と日光・鬼怒川温泉のイベントに出掛けた時と、SD絶頂期『超戦士ガンダム野郎』の頃、新宿・小田急で行われたバンダイとボンボン協賛のイベント…この時は、うちの子供がSDの大ファンで行きたいと駄々をこねられ、自分が断ったイベントに親子で見に行く訳にもいかず、シブシブ承諾…(汗)。

当日、開店前から長蛇の列…うちの息子も、その中に家族で並んでいて何処かのサクラのようだった(赤面)。


Category: SD武者ガンダム風雲禄編  

SDバラエティーセット

007.jpg
お得な「SD戦国伝」の詰め合わせ、ガン消し、シール、メンコのセットです…(笑)。
これは、おもちゃ屋というより雑貨店に置くやつですね。何処とな、地方の匂いがします。

僕は、旅行先のホテルの売店でも見かけました…本当に、バブリィーな時代でした。
Category: SD武者ガンダム風雲禄編  

まんがプレート

まんがプレート

台紙に色が付いてて、筆と水だけで色が塗れる…現代版、塗り絵です。
Category: SD武者ガンダム風雲禄編  

SD絵馬

絵馬
僕は、これまで四軒家を住みかえた…一軒目は「プラモ狂四郎」がヒットした時買った、大宮の一軒家と氷川参道のマンション、そして、秋田に建てた家、今の築22年のボロ家だ(その経緯は、過去の記事でご存じと思う…)。立派な引っ越し貧乏だ(苦)。

時々、バンダイのサンプルやホビー雑誌等が、やまと虹一名義で送られてくると、配達の若者から「あのプラモ狂四郎のやまと先生ですか?」とか「ボンボン読んでました…」なんて、声を掛けられ、こんな家に住んでいるのかと、シゲシゲと見られる事がある…玄間に、等身大ガンダムでも立っていると思ったのか…クラフトマンの二階だったら、期待どうりだったのか、なんて心の中で軽いツッコミを入れたくなったりする(笑)。売れっ子漫画家の豪邸列伝は、よく耳にするからな…中世の城のような外観で、中庭に噴水が上がる家、全面ガラス張りで、ドウドウと人工滝が落ちる家、中古車展示場のようにスポーツカーがズラリと並ぶ家とか、漫画家もいろいろ…人生いろいろだ。
Category: SD武者ガンダム風雲禄編  

七人のガンダム

七人の武者
復刻版SDガンダムカードダスvol.3「超戦士ガンダム野郎」の原稿が上がる…なんだか、疲れてる。原因は花粉症だ…こっちが気をつけても、家族の出入りがあるから、家中に花粉を巻き散らして歩く。この季節は最悪だ…発症したのは、秋田に戻って2年後だった。

銘木秋田杉の地元だから、風が吹いて花粉が舞い上がると炎の如く…しかも、僕の住んでいた所は内陸の山間部、日本海を渡る風にあおられ秋田杉の植林した山を越えてやってくるのだった…だからと言って、地元の人間に花粉症が多い訳では無い。子供時分から吸っていて、花粉の免疫が出来ているとしか思えない(勝手な解釈だけど…汗)。

家族や身内がならずに、僕だけ花粉症になった…僕は出戻りだし、精神的に参っていたからなのか??薬はなるべく飲みたくない。試しに、ヨーグルトや紫蘇、甜茶を続けていたら当時より、大分改善しとように思える今日この頃…でも、風の吹く日はつらい。鼻水を垂らし、涙目で描いたSDカードダスvol.3期待するべし!

…発売する頃には、花粉症も治っているでしょう(グスッ)。

◆「七人のガンダム」は、下敷きです。


Category: プラモ狂四郎  

KCバッチ

バッチ
おかのきんやという友人がいる…現在、漫画家というより企画者の方に比重をおいている。

彼と知り合ったのはダイナミックプロ時代だった。志垣太郎似の彼は里中満智子先生の手伝いの経験があったが、アシとしてまだ未熟だったため、一週間、斜線引きの練習だけやって辞めてしまったので、あまり良い印象がなかった。そんな彼と再会したのは、少年ジャンプ主催の「手塚賞」受賞式のパーティー会場だった。僕が、手塚賞応募作でデビュー作「エレジーママロボット」で、おかのさんは月例「フレッシュジャンプ賞」の佳作だか、何かにギャグ漫画で入賞していて会場に来ていた。

その時、既におかのさんは講談社の月刊少女フレンドでデビューしていて、少年誌はこれが初…偶然にも、帰る方向も彼が上板橋で僕が中板橋(ダイナミックプロから脱出した大和町のアパート)で東武東上線上だった…帰り道、僕らは池袋の深夜喫茶で終電近くまで熱っぽく漫画の話を事を覚えている。

…それから僕が秋田に帰るまで交流が続いたが、家業も漫画もうまくいかないジレンマ生活の中で、心配して電話をくれた彼に怒りをぶつけて20年近くつづいた関係が途絶えた…その頃、おかのさんも漫画を描いていく事に不安を抱え企画者に転じた事を後で彼のブログで知る。

本当に彼には、申し訳ない事をした…(苦)。

そして僕が、埼玉に戻り漫画界に復帰してしばらくして、ある携帯サイトの仕事で僕を紹介してくれた事を機に再び交際が始まる…絶縁状態にあっても気遣いしてくれるおかのさんには感謝している。

`82講談社・KCニューヒーローフェア時、書店で無料配布された『プラモ狂四郎』のバッチ。


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