続・やまと屋ブログ堂

★…パーフェクトガンダム、レッドウォーリア、武者ガンダムの起源はここに有り…★

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拝啓「プラモ狂四郎」さま。

拝啓c

拝啓
京田四郎さま。
君と出合ったのは‘81年の暮れ講談社テレビマガジン編集部でしたね。安井尚志氏が連れて来た君はまだ幼くモデラーとしてもまだまだ未熟でした…やがて君は『プラモ狂四郎』と呼ばれるまで成長しました…僕は君を理解しようとそれまでまったく興味がなかったプラモデルを弄くる羽目になり、お陰で僕は「ガンプラ作家」のレッテルを貼られ代表作は『プラモ狂四郎』(笑)…僕はそれが嫌で漫画を辞め家業に専念するもド素人の僕と周りの職人たちとうまく行くはずもありません…苦悩の7年間!…そんな時君は僕の気持ちを知ってか知らずか人生の節目、節目に現れては(単行本化…)励ましてくれました…勿論、熱心な読者の後押しがあっての事ですが…君には心から感謝してます。なにしろ『プラモ狂四郎』で僕の名前も少し知れ、ブランクがあるのに声を掛けてくれる奇特な編集さんと友人に救われ、第二の漫画人生を送る事が出来ています。クラフト団+やまと虹一=『プラモ狂四郎』と言う図式が出来てしまった以上、君の名誉の為にも、別ペンネームで描いてますので安心してください。
またいつか、君と合えそうなそんな気がします…。
敬具。      
                             やまと虹一・拝


追伸…。
…もう知ってると思いますが今年(11月14日発売)を持って君の活躍の場だった「コミックボンボン」が
その歴史に幕を閉じるそうです。ネットの書き込みやブログは的を射ているので敢て僕からは補足しませんが、『プラモ狂四郎』と共に第一次ガンプラブームを仕掛け「ボンボン」で来るべき、ガンダム30周年を迎える事が出来ないのは残念です。


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シミュレーション、GO!

単

1981年暮れ…。
長年お世話になってきた小学館の学年誌と某児童誌の連載がこの秋で終了し、僕はある意味岐路に立たされていた…「学年誌の増刊号として創刊したコロコロに持ち込もうか?」それとも「以前読み切りを何本か描いた事のある少年誌に持ち込もうか?…最悪、田舎に帰るか?」…そんな日々を送っていた時、以前石森プロのコミカライズでお世話になった講談社・テレビマガジンの副編集長のKさんから一本の電話が掛かってくる…Kさんは僕がアシスタントを勤めていた永井豪先生の担当者で以前、僕が同じ文京区内にある共同印刷(小石川)の紫雲寮でセッセと漫画を描いて持ち込みをした時、ダイナミックプロを紹介してくれた人物である「至急、機動戦士ガンダムを2、3点描いて持って来てほしい…」と言うのだ。僕はガンダムがどんな物か知識はまるでなかった。それでもなんとかガンダムらしきカットを雑誌から探し出し徹夜で下手くそな絵を描いて持って行った。約束された時間より早く編集部に着くとKさんに挨拶。すぐに応接室に通されると、既に編集長Tさん、副編集長Iさん、担当Tさん、原作者の安井尚志氏が揃っていてタダならぬ雰意気。手元に僕が描いていた児童誌がある…フリーの編集者でもある安井氏は学年誌や石森作品のムック本なんかに関わり僕の作品も知っていた。(仮題)「プラモ大作戦」と書いたプロットを手渡され講談社初の児童誌なる「コミックボンボン」の経緯と作品の事柄を説明されると、仕事に飢えていた僕は即刻「OK」。〆切りはカラー扉付き33ページ、20日厳守!…今日は12月10日…随分と急な話であったが、アシスタントのいない僕はなんとか間に合う期日だった…ところが安井氏はこれから原作を書くと言う(汗)。取りあえずモデラーさんがグラビア撮影で用意した1/144ガンダム(※この時まだGアーマーに跨れるようにリックドム関節パーツを使った改造は成されていない)、1/144シャアザクとGアーマーなど第1話に登場するプラモを借りてプロットからキャラを起こしカラー扉を原作が上がるまで描く事にした…後で分かった事だが、当時公開中の劇場版「機動戦士ガンダム」の漫画化を企画した物の日本サンライズ(現・サンライズ)側から承諾が得られず、急遽プラモデルに変更され漫画家も二転三転した結果だった。

そして、タイムリミットが迫る中ついに安井氏の原作が上がってきた!タイトルは『プラモ狂四郎』!!
14日の夕方で、ネームに2日として正味3日しかない!年末進行で友達の手伝いも確保出来ずド素人の妻の手を借りてでも描き上げるしかなかった…〆切りを1日オーバーして『プラモ狂四郎』の第1稿が上がった。

                               


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ガンプラブーム

ぶーむ

これは僕がある雑誌のインタビューでも答えているいる事だが『プラモ狂四郎』連載当時、先発のコロコロコミックは学年誌で実績のある児童漫画家たちで「友情、努力、勝利…そして笑い」なんてどこかで聞いた事のあるようなスローガンを掲げ熱くなっていたのに対し、後発コミックボンボンは少年マガジン系の有名漫画家で構成され児童誌としては何処か冷めた感じがした…唯一学年誌出身の僕が「友情、努力、勝利…そしてガンプラ!」たった一人スローガンを掲げ『プラモ狂四郎』に盛り込んだ(笑)…僕はガンダムファンの熱狂さを知らなかったから平気でモノアイに目玉を入れたり、怒れば頭にバッテン印も入れたガンプラ黎明期とは言え「児童漫画とはこんなもんだーっ!」てくらい熱く自由に描いた。案の上ボンボンの特集ページを担当するモデラーさんや編集部まで反応が悪かった…前回も書いたように年末進行で時間が無い…そのまま掲載するしかなかった…「僕は降板もありうると確信した。」…ところが年が明けてコミックボンボン'82年2月号が発売されると事態は一転いきなりトップ、読者アンケートの7、8割が『プラモ狂四郎』で占めていた。僕は読者に救われた…低年齢層にガンプラブームの兆し…『プラモ狂四郎』単行本発売日の当日から重版の連続…やがて第1次ガンプラブームが加熱する。

そして『プラモ狂四郎』の人気が上がるにつれページもドンドン増え40、50、60ついには二本立てになった…安井氏から上がってくる原稿は400詰で7、8枚…通常32ページでも足りないくらいの枚数だったがストーリー構成が苦にならなかったのは安井氏のプラモシミュレーション(仮想空間)と言うガンダムの世界感にとらわれない自由な発想と四郎をはじめ健やキー坊、みどりちゃん、山根等のキャラが魅力的だった…。
       
そんな安井尚志氏の才能に支えられ『プラモ狂四郎』以降も『ホビーボーイ飛人くん』(テレビマガジン)『新プラモ狂四郎』『超戦士ガンダム野郎』『SD武者ガンダム風雲録』等…約12年間、コミックボンボンでコンビを組む事になる…。
                              


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ガンプラ

「機動戦士ガンダム」RX-78タイプは、1/144が300円で、1/100が700円…この1/60は2、000円しました。(※写真は、メカニックモデル)
g1-60

サイズが違うからと言って、1/144と1/60も間接可動部に大差はありません…ただ大きいだけです。現在のHGUCやHG技術とは比べモノになりません…でも、これが無かったらプラモ狂四郎でザク同様間接を弱点として指摘される事も改造に見られるガンプラブームもなかったと思う。そして、この漫画がなかったらガンダムの裾は子供達に広がらずアニメファンのモノであったと自負している。第一回のシミュレーション対決の狂四郎の相手は丸山健ではなく、バンダイの設計担当者さんだったのかも知れません…以降、ガンプラの間接は改善され、漫画の内容も内部(仕掛け)から外部(ボディ)へ…パーフェクトガンダム、武者ガンダムとオリジナルガンダムへと方向を変えていきました。


…最近は、世界に誇るガンプラの究極可動パーツだけあって、細か過ぎて可動する度にポロポロ部品が落ちてしまいます。
やっぱり、プラモはディスプレイなのか~汗。







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プラモスピリット(魂)!!

すぴりっとvx

『プラモ狂四郎』は作中にも登場したストリームベース(小田雅弘氏、川口克巳氏、高橋昌也氏)やヒゲのプラモ怪人こと小澤勝三氏、速水仁司氏等…数多くのモデラーやメカデザインに協力してくた今やガンダムコミカの第1人者である若かりし頃のときた洸一さん等の協力で成り立っていた…例えばプラモスピリットの象徴である「パーフェクトガンダム」はアニメーター板野一郎氏の原案である事は有名だが、漫画に登場させるにあたり背部デザインはモデラーの津田誠氏が担当、実際に1/144ガンダムからの改造作例も公開した事もあった。読者プレゼントのプラキャスト版は小澤氏。その絶大な反響を受けてバンダイからの商品化にあたり小田氏が改めて改良しコミック発(MSVであったが…)のオリジナルガンダムとなった。
ガンダムデザイナーの重鎮、大河原邦夫氏から「パーフェクトガンダムは実在しないから1/144はおかしい」とクレームを受けた事も懐かしい。(1/144ガンダムから改造したため1/144パーフェクトガンダム…)。
また、ときたさんの場合も武者ガンダムMK-ⅡをはじめモビルトルーパーやパーフェクトジオングMK-Ⅱ、モビルアニマル等デザイン協力して頂き後期の『プラモ狂四郎』の原動力となった。
                              

◆上の写真は『プラモ狂四郎』100万部突破記念旅行と称し千葉、佐倉へ繰り出した時のもの…前列右から僕、田中編集長、中央に小澤勝三、後列右から池田編集部長、川口克巳、安井尚志、高橋昌也、小田雅弘、カメラは担当者の田部さん(…※先頃、『プラモ狂四郎』作中「ヒゲのプラモ怪人」として登場、協力頂いた小澤氏が亡くなられた…心からご冥福をお祈り申し上げます。)


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